信遊記
2025年8・9月号

信遊記~第三回 川中島(甲陽軍鑑と北越軍記)~

  • 長野県企画振興部長 中村徹

1.前置き

歴史の役割は何だろうか。真実を正しく記録すること?のちの世への教訓?これは間違いないであろう。では、あやふやな歴史、語られている歴史には価値がないであろうか。いや、そうではあるまい。たとえば、戦前、古事記の日本神話は歴史として教えられてきたが、今の世の中に古事記がそのまま正しい歴史と認識している方はそうそういないだろう。

だが、日本神話が正確かどうかにかかわらず、諏訪大社や戸隠神社は地域のアイデンティティとして強い存在感を示し、人々の心のよりどころ、文化の土台になっている。また、神話等は、神話そのものが事実でなくとも、様々な歴史的事実を暗示していることもままあろう。

何が正しいのか、を追求する歴史実証主義の立場は、歴史を都合の良いように歪めないという点で非常に重要であるが、そこは歴史学者の皆さんにお任せして、我々は気楽に歴史を楽しんでも良いと思う。

川中島の戦いを取り上げるに当たって、何が真実なのかは霧の中(四度目の合戦でも霧が舞台装置のひとつ!)であるが、ライトなオタクの私の言い訳もそんなふうにしつつ、始めさせていただく。

2.川中島の戦いについて

歴史ファンではなくても、川中島の戦いを聞いたことのない人はいないだろう。

私が長野県に赴任して最初に感動したのは、「川中島古戦場が長野駅から車で15分ほどの所にある」という点であった。県外から来た友達を連れて行っても、川中島古戦場は喜ばれる。善光寺が長野駅付近にあることは知っていても、川中島があの距離にあることは意外に知られていない。

川中島の合戦の事の発端は、武田信玄が甲府から徐々に勢力を伸ばし、坂城の村上義清(この人もすごい人なので、また取り上げたい。)を攻略したあたりで村上義清が越後に逃れて上杉謙信を頼り、それにこたえる形で上杉謙信が信濃に出兵、軍事的衝突が起こったものである。

合戦は通説的には5度あり、第一次合戦は天文22年(1553年)、第二次合戦は天文24年(1555年)、第三次合戦は弘治3年(1557年)、第四次合戦は永禄4年(1561年)、第五次合戦は永禄7年(1564年)で、もっとも有名な、いわゆる「一騎打ち」「妻女山」「キツツキ戦法」が甲陽軍鑑などで語られるのは第四次合戦と言われている。少し歯に物が挟まったような言い方をしているのも、これらは実際には無かったのではないかと研究者の間では言われているからだ。

川中島の戦いにおいて、人口に膾炙しており、様々な創作等のベースになっているのは、「甲陽軍鑑」という書物だ。これは武田方の目線で書かれた書物で、上杉方からの目線で書かれた書物には「北越軍記」などがある。

今回は、甲陽軍鑑、北越軍記についてと、それがもたらしたものについて考えたい。

3.甲陽軍鑑

甲陽軍鑑について、長野県立歴史館の「開館30周年記念 令和六年度秋季企画展 描かれた川中島合戦~屏風・錦絵にみる戦の世界~」(以下「企画展」という。)の図録(以下「図録」という。)から抜粋する。

「長篠の合戦後、敗戦の原因について武田家重臣春日虎綱(高坂弾正)は、武田勝頼の驕りや、側近たちが勝頼に適切な助言を行ってこなかったためだと考え、彼らへの諫言として、信玄時代の様々な出来事、信玄や家臣たちの優れた行いや心構えなどを語り始め、その内容を筆記させたものが『甲陽軍鑑』の原型といわれます。虎綱が天正六年(一五七八年)に死去した後は、甥の春日惣次郎らが書き継ぎ、武田氏滅亡の混乱を経て、天正一三年(一五八五年)に佐渡国(新潟県)で完成しました。この後、本書は武田遺臣である小幡景憲の手に渡ります。(中略)景憲はこれを整理、書写します。」(図録 P11)

江戸時代には「あの神君家康公を破った武田信玄の偉大なる兵法を伝える」ということもあって、この甲陽軍鑑が徳川家を含め、広く受け入れられる。

さてここでちょっとだけ、私の思い出話を聞いてほしい。

20代の主査時代の総務省勤務時に、自治省OBの元国会議員の某先生(もう鬼籍に入っておられる)から原稿のネガチェックの依頼を受けたり、お話を伺ったりする機会が何回かあった。もう当時いろいろと怪しくなっている気配のあるご年配の方であったが、「なかなか〇日までには忙しくてできません」と依頼をことわると「え?ありがとうございます。大変助かります。」と聞こえていないのか、わかっていて敢えての返事なのか、したたかな面もお持ちな憎めない方であった。

私はこの方の「長野士郎さんってのは凄くてね、私が行政課主査(当時の私の席)時代に行政課長だったのだけど、怖くて怖くて、「〇〇はどこに行った!」と探されているのを怒られるのが嫌で隠れたことがあった。その時に私をかばって課長の相手をしてくれていたのが理事官だった松本英昭さんだよ」とか、そういう昔話を聞くのが結構好きだった。

長野士郎さんというのは事務次官の後で元岡山県知事もされたレジェンドで、松本英昭さんというのは事務次官をされた同じくレジェンド。逐条解説地方自治法は、現在の改題新版は官房副長官をされている佐藤文俊さんが執筆されているが、平成29年10月に刊行された第9次改訂版までは松本英昭さん、平成7年11月に刊行された第12次改訂版までは長野士郎さんが執筆されていた。

その中で「法令協議」の話をしてもらったことがあった。法令協議というのは、各省の作る法律について協議をすることであり、普通は「自分が所管する法律や事務に当該法律(法改正)が影響しないか」という観点で見るものである。当時私がいた総務省自治行政局行政課ではもう少しややこしくて、「自治体にとって無理な法律を他省庁が作っていないか、法律が自治体できちんとワークするようにするにはどのような規定にする必要があるか」等、他省庁が作る法律について協議を受ける役割があった。他省庁の法改正に当たって、法改正部分だけではなく、法律全文や周辺の規定、過去の改正経緯などを勉強していかないと当然まともに議論はできないので、結構大変な仕事である。さて、法令協議についての某先生の語った昔話である。

「法令協議って今もやってるでしょう。昔もやっていてね、一回文部省と揉めたときに長野士郎さんが協議に出てくれたことがあったのだけど、当時電気も怪しいもんだから停電して、真っ暗になっちゃったんだよね。その時、長野士郎さんは真っ暗な中で「〇〇法の〇条に似た形の規定があるでしょう。それと同じにすればよろしい」とか「×条のここの文言はおかしい」とか、ソラで議論を相手方の課長と進めちゃったんですよ。」という話。

真っ暗な中で真剣な声が聞こえてくるような、なんとなく漫画チックなこの話が私は結構好きで「~~先生が言ってた話なんだけど、絶対盛ってるよなぁ。」と言いながら、私も後輩にその話をしたことがある。

長々と何を言っているのかと思われていることだろう。この「私も後輩にその話をしたことがある」という部分、これが「甲陽軍鑑」だと私は思っている。

長篠の戦いの後の武田家、結構やばい状況の中、おじいちゃんだった高坂昌信が「お前ら頑張らんといかんのやぞ」と若手にカツを入れるために語ったのだ、盛ってる話も多いだろう。また、それを聞いた若手が他に語ったものをベースに書いた話だ。話しているうちに更に盛りが増すに違いない。御屋形様である信玄を「パない」とアゲるのであるから、当然その敵方であった上杉謙信についてもアゲアゲ。戦についてもアゲアゲだろう。

「昔はお前、御屋形様はすごくてなぁ。川中島なんかはそりゃあ大変だったんだぞ。」「謙信、あれが乗り込んできて斬りかかってきてな。ふつうそりゃびっくりして斬られちゃうだろ?御屋形様はやっぱりすごくてなぁ、軍配で防いだんだよ。お前防げるか?軍配だぞ?無理だろ?馬乗ってるんだぞ相手(笑)御屋形様じゃなかったら死んでるよ普通」とか、そういう飲み会の席の風景が浮かぶ。

皆さんもご経験ないだろうか?「平成一けた台に〇〇部長してたAさん、あの人は凄くて、こんなエピソードがあって…」「お前は知らんだろうけどBさんが〇〇課長してたときはエグくて…」とか飲み会で先輩から聞かされたこと。多分あれ。

とはいえ、まったく「でたらめ」と切って捨てたものではない。川中島の戦い(4度目)でも「上杉謙信が自ら太刀を振るって敵と戦った」と記載された手紙が戦いの直後に残されており、信玄の弟の武田信繁は戦いで亡くなっている。激戦があったことは間違いないだろう。ゼロからの創造はできないのだ。長野士郎さんの法令協議の話も、停電は言い過ぎでも、そらで条文を指定したことはあったのだろう(たっくさんの法律を読んできてるわけだから。)。長野士郎さんはやはりレジェンドであり、先輩の「A部長」や「B課長」はやはりすごい人で、御屋形様も謙信公もすごい人なのだ。

 

4.北越軍記

北越軍記について、同じく企画展の図録から抜粋する。

「『北越軍記』は上杉謙信が活躍した約八〇年後に書かれており、長尾家の興起から上杉謙信の時代および景勝の事績を全一七巻にまとめた軍記です。(中略)筆者は紀州家に仕えた宇佐美定祐であると考えられ、定祐の創始した越後流軍学の教本として用いられました。」(図録 P13)

上杉謙信の名軍師、宇佐美定満の子孫(と称している)定祐が紀州和歌山藩に自分を売り込む際に持って行ったものであるから、まぁ、就活のエントリーシートの添付資料のようなものか。こちらも自分を「こういうすごいやつの子孫!」と売り込むわけだから、盛っているだろう。就活の際には自称「サークルの副部長」(←これ、部長じゃないところが絶妙にミソですよね。)がうじゃうじゃ出てくるのだ。

なお、歴史館の村石正行先生の「検証 川中島の戦い」(吉川弘文館)では、「宇佐美定祐は大関定祐といい『川中島合戦弁論』なる書物を著していた。彼は越後流軍学者を名乗るが、上杉家や越後国とはまったく縁のない人物である。(中略)『甲陽軍鑑』を否定するために独自の虚説を作り上げ、また軍学者として名を売ろうとしたもので、(中略)本書でみたように、宇佐美の記述はまったく史実とは言いがたい。」(P165)と切って捨てている。

ではこちらは全く無価値なのかと言えば、やはりそうではなく、図録では、越後流軍学を支持した紀州藩の徳川宗家への対抗心を支える(徳川宗家でメジャーな甲州流軍学に対抗できるものを紀州藩は持っているぞ、という)役割を果たしたのではないかと示唆されている。

5.川中島の合戦と甲陽軍鑑と北越軍記

これらの書物が人々の中の「川中島の合戦」のイメージを作り上げていったのであるが、やはりその結晶は一騎打ちのシーンだろう。長野県に来てから、色々なところで武田信玄と上杉謙信の一騎打ちのシーンが描かれたものを見てきたが、この一騎打ちの描かれ方についても、甲陽軍鑑と北越軍記で異なる。

具体的には、甲陽軍鑑では信玄の本陣に謙信が馬で乱入して斬りかかり、信玄が刀を軍配で受けているが、越後軍談だと川の中で信玄と謙信が刀で斬り合う。

 

屏風絵などを見る際には、川で刀で斬り合ってるか、陸で軍配で受けているか、で、越後軍談ベースか、甲陽軍鑑ベースかがわかる。ハイブリッドに陸で刀で斬り合っているもの、川で刀を軍配で受けているものもあり、THE二次創作、という感じがする。

いまさら紹介しても遅いが、企画展では各種屏風絵から背景(何をベースにしているのか、用途は何か、金持ちが応接セットとして見せびらかしたいのか、武家が子弟の教育に使いたいのか、寝室の趣味のものなのか)を解説しているのも面白かった。

また、合戦の屏風として武家が楽しんでいたものが、やがて歌舞伎や浮世絵等でキャラクターのかっこよさを中心とした楽しみ方になって行く変遷も紹介されていた。

これを見て、戦国もののゲームも、昔ながらの「信長の野望」などの戦略ストラテジーゲームから、「戦国無双」や「戦国BASARA」など、キャラクター中心のゲームになって女性人気を博している様子が想起され、「日本人のDNAか」と感じたが、これはこじつけが過ぎるだろうか。

 

6.おわりに

川中島古戦場跡が本当の激戦地であったのかはわからないが、長野市立博物館となっており、川中島の戦いについても大きな地図とデジタルでわかりやすく解説している。有名な一騎打ちの像も含めて、県外の友達には喜ばれた。

甲陽軍鑑や北越軍記に関しては、歴史資料としての価値はさておき、歌舞伎、小説、ゲーム、漫画(私は武田上杉ものだと東村アキコさんの「雪花の虎」が好き。謙信女性説の話ですが、なるほどなぁ、と思わせる描き方をしていました。)など、様々なメディアの基礎を築いた文化的価値は揺るがないであろう。

川中島の戦いという長野県の歴史を紹介するうえで外せないトピックをどう語るか悩んだが、今回はまずは前提のところから、ということで、こういう取り上げ方をさせていただいた。次回は名所等、実際に人を案内する参考になるように取り上げたい。

 

さて、長くなってしまったので、いったんここらで中断。

 

~温泉ソムリエ・ナカムラトオルの「今日の温泉」~

「川中島温泉テルメDOME」(長野県長野市川中島町今井1780-1)

おそらく長野に来てから一番入った温泉。長野中心部から車で20~30分。露天風呂、壺湯、炭酸泉、サウナ、水風呂と、欲しい施設が全て揃っている。サウナばかりではなく、露天風呂にもテレビがついている点もポイントが高い。

2017年に作られており、店舗内も綺麗。

泉質は含ヨウ素―ナトリウム・カルシウム―塩化物温泉で、溶存物質は5.608g/kgであり、1g/kg以上あれば療養泉と認められるところ、その5倍以上の濃さとしっかりした温泉。pHは7.0と中性。

営業時間が24時までで、少し遅めに着いても焦らずゆっくりできる。

なお、メインホールの壁画「信州川中島大合戦」(画:越ちひろ)は、一騎打ちのシーンを描くが、「川の中での一騎打ち」「信玄が軍配で刀を受けている」ことから、甲陽軍鑑と北越軍記のハイブリッドだ。

別館のサウナ、ミュージックロウリュウは専用の浴着を着て楽しむサウナで「家族・友達・カップルなど男女一緒に楽しんでいただけます。」とある。楽しそうなカップルを見ると負けた気になるので、筆者は一度も行けていない。

 

  • 川中島古戦場八幡社の一騎討ち像。甲陽軍鑑ベース。
  • 川中島合戦図屛風より。いわゆる「紀州本」。北越軍記ベース(和歌山県立博物館蔵)
  • 川中島合戦図枕屏風より。甲陽軍鑑・北越軍記ハイブリッド。村石先生の個人所蔵。(県立歴史館(寄託))
  • 信州川中島大合戦(画 越ちひろ様)。甲陽軍鑑・北越軍記ハイブリッド。川中島温泉テルメDOMEの壁画。